The Modern Leper

A cripple walks amongst you, All you tired human being.

年間ベストアルバム2022

 

2023年ももうすぐ下半期に突入しようかという6月1日現在、私の住む沖縄に強い台風が上陸しており、仕事も休みになってとにかく暇を持て余している。暇と言いつつやらなきゃいけないことは山積みなのだが、こういう時に限って昔自分が書いた文章などを読みふけってしまいがちだ。Kentucky Route Zeroのレビューも全然書けてないな~……などと思いながらはてブの下書き保存一覧を整理していると、やけに文章量の多い下書き記事が放置されていることに気付いた。

以下の文章は、「なんか毎年みんなやってるしな~」と思って2022年末に書いてみたものの、書いた内容にあまり納得がいかず投稿するのを止めたまま、とくに書き直すこともなく、半年間ず~っと下書きフォルダに放置されていた「私が2022年に聴いた音楽の年間ベストを好きに語る」記事である。

というわけで、とくに理由があるわけでもなく、唐突に2022年の音楽年間ベストの記事を上げることにする。改めて読み返してみるとそれなりに良いことをいっているような気もしている。長くて読みきれねーよ!という方は、Vince Staple『RAMONA PARK BROKE MY HEART』、Kabanagu『ほぼゆめ』、結束バンド『結束バンド』の部分だけでも読んでほしい。(以下の目次から読みたい箇所に飛べます)

 


 

 

サブカルオタクとしての私の2022年は、あらゆる困難によってゲームや映画などの趣味に使える時間と気力をゴリゴリに削られていた分、作業や家事をしながらでも触れられる趣味として「音楽」を例年以上に重要視していた一年だった。現代ではサブスクという恩恵もあり、聴きたい音楽は過不足なく聴けたと思う。繰り返し聴くほど気に入ったspotifyでハートマークを押した)アルバムの枚数は、新旧譜どちらも含めて100枚前後だった。基本的にネットで話題になってたアルバムを片っ端から流す、というスタイルで聴いていたのでジャンルのまとまりがない雑多な聴取履歴となったのだが、その雑多さの中にもトレンドや文脈の重力は確実に存在している。音楽は必ずしも歴史や記憶に紐付けて聴く必要は無い。だが歴史や記憶の方は、聴き手のことなどお構いなしに音楽にまとわりついてくる。改めて去年聴いた音楽を振り返ると、「思い出したくもない2022年」の輪郭がぼんやりと浮かぶのが分かる。

 

ここから私の2022年のベストアルバムを紹介する。ランキング形式ではなく、思いついた順に並べているので順不同だ。簡単なコメントを載せているものもあるし、載せてないものもあるが、そこに基準はとくに無い。強いて言えばコメントの長いアルバムは文章を惹起する力があるという点で優れている、という見方はできるかもしれない。

 

それではどうぞ。

 

 

脈光 - 大石晴子

去年一番衝撃を受けたアルバム。これ以上ないほど適切に音が組み上げられたアンサンブルの柔らかさにヤられていると、どこからともなくバスドラムと同じくらいの存在感のボーカル(妙な表現だが、ミックス・マスタリングの知識を持たない私には「そう聴こえた」としか言いようがない)が現れる一曲目の『まつげ』がまず凄い。そこからは、口腔の奥の真ん中のほうに丸い空気のまんじゅうが入ったような感覚がアルバム中ずっと続く(これも妙な表現だし、パッと見ると悪口にも見えかねないが、私にはそう感じたとしか言いようがない)。このアルバムをしっかりレビューするには、私には音楽の教養があまりにも足りない。そういう意味では、かなり聴き手を試すアルバムだと言えるのかもしれない。

ラッパーRYUKIの客演が新鮮な風を吹かせる3曲目『手の届く』で聴き心地にアクセントを付ける曲順や、現代日本画調の洒脱なアートワークまで含め、全てが適切に推敲された職人技という印象ですが、自身のアーティストとしての在り方を謳うような歌詞も印象的な9曲目『発音』が、アルバム全体を単なるウェルメイドに留まらせていないのも凄い。とにかくこのアルバムが大好きです。

 

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Ants From Up There - Black Country, New Road

アルバムの内容やクオリティというより、去年はBC,NRというバンドの数奇な道程に思いを馳せずにはいられなかった。YouTubeにて無料配信されていたフジロック22の映像を通してみた彼らのバンドとしての「弱さ」はあまりに魅力的だった――もちろん私が彼女たちを見る視線に、小動物を愛でるような無神経さや、ウェットな人間関係を恣意的に読み解こうとするゴシップ趣味が全く無かったとは言わないが。彼女たちの弱く抽象的な音像は、工藤冬里のMaher Sharal Hash Bazに通じる逆説的な強度があったように思う。友人同士で組んだバンドという人間関係の卑近さや、おそらく意図的に練度を上げていない空中分解寸前にさえ聞こえるアンサンブルが、ときおり超越的な崇高さに到達するようなダイナミックさは、フジロック特有のロケーションや夏の空気(ライブ中には虫も飛んでいた)と相まって、得も言われぬ情緒を喚起させた。

そのフジロックのライブではこの『Ants From Up There』に収録された曲は一切演奏されず、全て新曲のセットリストだった。じゃあなんで本作をベストに選んだのかというと、いわば本作が「強いBC,NR」の最後のアルバムであるということを、私たちは今のうちに受け入れておく必要があると感じたからだ。中心人物を擁した「強いBC,NR」は脱構築され、フジロックで見せた「弱いBC,NR」は近いうちにその抽象性を失い、また別の新しいBC,NRがハッキリとした形をもって私たちの前に現れるだろう。バンドを愛するということは、この変わり続ける連続性を愛するということでもある。私はBC,NRを愛している。

気になった方はこれらの記事もおすすめです。↓

6人で再始動したブラック・カントリー・ニュー・ロードフジロックで見せた自然体と新たな地平 | TURN

Black Country, New Roadが語る「脱退」とその先の人生、若者が大人になること | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

 

〈2023年6月追記〉
この文章を書いたあと、2023年2月にBC,NRによるライブ映像『Live at Bush Hall』が発表された。新体制のBC,NRにとって初の、ハッキリと形を持った作品のリリースである。日本でもCDがリリースされており、ネットでもそれなりに日本語の反響を見かけた。上のリンク記事を読んだりフジロックでのライブに触れたことで、私のような巨大感情BCNRリスナーが日本に一定数生まれたということなのだろう。
私のレビューではフジロックでの演奏を「おそらく意図的に練度を上げていない」と評しているが、フジロックよりもはるかに安定感のあるこのライブ映像を観ると、2022年に存在したあの「弱いBC,NR」は意図されたものではなく、バンドとしては思わぬ形で生じてしまった偶発的な「現象」だったのだろうと思う。そしてその「現象」は消えてしまったのだろう。しかしそれは当たり前のことだ。バンドとはそもそも常に現象なのだから。音源もライブ映像もブートレグもインタビューも、変化し続ける現象の切り取られた一断面に過ぎない。

 

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Hellfire - Black Midi

来日公演行きたかったなあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

アルバム出る前からKEXPの映像を死ぬほど観てたので、アルバムとしてはそんなに新鮮な衝撃を受けなかったんですが、それはそれとして普通に良いアルバムでした。

 

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Pripyat - Marina Herlop

多分日本ではあんまり紹介されてないバルセロナのアーティスト。やりたいことが明確で、作りこみも凄い。声の技巧が幅広くて、ところどころ音楽では聴いたことの無いような音(自然界とかASMR音声でしか聴いたこと無い音色というか)が鳴っているので生理的にもおもしろい作品でした。

 

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ANTIDAWN - Burial

 

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Whatever The Weather - Whatever The Weather

去年一番聴いたかも。

 

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Beatopia - beabadoobee

beabadoobeeは「矢井田瞳っぽい」ということが2022年においては今っぽいのだ、ということを教えてくれた…。それはともかく、単なる流行りのポップパンクリバイバル系でしょ?とナメて聴いてたら全曲すごく良くてビックリしました。『Lovesong』とか何回聴いたか分からない。最高。名曲。『The Perfect Pair』みたいな"音楽性のある"曲なんかなくても成立するアルバムだと思うんだけど、こういう雑多に色んなジャンル曲が詰まってるあたりも矢井田瞳が一番売れてた頃のJ-POPのアルバムっぽくて愛らしいなあとか思いました。

Tinkerbell is Overrated』って曲名、最高すぎ。

 

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The Car - Arctic Monkeys

音楽性が変わった云々言われてるアクモンですが、私にとって一番ショックだったアクモンの音楽性チェンジは3rdの『Humbag』でポストパンクっぽさが無くなった時に起きていたので、むしろ今更「歳とってテンポが遅くなった!」とか言われていることにビックリでした。そんなことよりも「どんどん桑田佳祐みたいになってゆくアレックス・ターナー問題」の方が深刻ですね。後述しますが、桑田佳祐の方もアレックスとシンクロしつつあるので本当に面白いです。

来日公演行きたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(※2023年追記:行けませんでした。)

 

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RAMONA PARK BROKE MY HEART - Vince Staple

あまり話題にするのも気が重いが、7月の安倍元首相銃撃事件の折に『MAGIC』と『WHEN SPARKS FLY』の2曲をよく聴いていた。リリックを和訳した動画によると、銃に関するメタファーが込められている曲らしいけど、英語の分からない私にはそれがどれくらい正確な訳文なのかも判断できない。そうなんだ~と思うばかり。ただ、銃が社会に組み込まれている生活圏におけるヒップホップという音楽の受容のされ方を、今のうちに自分も肌感覚で理解しておく必要があると、件の銃撃事件を経てなんとなく思ったのだ。考えすぎかもしれないけれど。

私は2021年に出た前作からVince Stapleの耳なじみのよいラップのファンで、音楽性やリリックの内容よりも、心地よい音像の良さに惹かれて彼の曲を聴いているのだが、この耳なじみの良さと「銃」に関するメタファーが同居するヒップホップという表現形式の恐ろしさについても、何か考える余地があるような気がしてならない。

 

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ALONE - OMSB

望む望まざるに関わらず有徴化されるBLACKやLGBTQ+, ただ生きるだけで「問題」にされる全てのひとたちに届く言葉とは。

かつて彼は言った。「普通って何?常識って何?んなもんガソリンぶっかけ火付けちまえ」。さすがにガソリンをぶっかける訳にはいかなくなったパパOMSBによる「普通」についての省察。ある種の冷笑や諦念を感じるリリックには共感できない部分も多いし、社会を革新するようなラディカルな推進力のあるアルバムでも無いと思うが、それゆえにこの声には聞き耳を立てるべきであるようにも感じる。

 

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God Save The Animals - Alex G

これは私に音楽を聴く能力が足りてないことを意味しているのだと思うが、一度聴いてピンと来なかった音楽も、同じ曲をライブ演奏している映像をYouTubeで観ると一気に大好きになるということがよくある。音楽を聴くときの私がいかに視覚情報に頼っているかを痛感する。

Alex Gの本作も、Tiny Deskでの演奏を観てから評価が跳ね上がった。当たり前の話だが、こんな有機的な音楽が、AIによってポンと生成されるように作られるはずがない。音楽が人の手で鳴らされているのだということを、私は忘れつつあったみたいだ。

 

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Gemini Rights - Steve Lacy

年齢すごく若くてビビった。

 

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The Gaze - Predawn

沖縄にライブ来てたらしい…しかもその直後に活動休止したらしい…。ぐぬぬ…。

いつかライブ観たいなあ。

 

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ほぼゆめ - Kabanagu

2022年を象徴するアルバムを一枚選べと言われたら、きっとこれを選ぶ。

あらゆる意味で"ハイパー"な、"インターネットの音楽"っぽい内容だった『泳ぐ真似』から、よりシンプルな「歌」にフォーカスした内容へ変化した今作は、詩の内容もハイパーテキストを繋ぎ合わせたようなナンセンスは鳴りを潜めて、より「生活からの/への影響」を反映した卑近なリリシズムにシフトしている。言わばサウンドと詩の両面で、前作と比べて「遊び」が目立たない位置に下がっているのだ。この変化(=遊びの後景化)には喩えようのない物悲しさがあるが、同時にあまりにも強烈な共感性を惹起する。私たちのほとんど全員は、ここ数年で『泳ぐ真似』から『ほぼゆめ』のように変化しているはずだ。

7曲目『生存』が大好きです。転調しそうな予感を随所で見せながら一切転調しない悪夢のような緊張感を持続したまま終わるこの楽曲を、Kabanagu氏がどのような気持ちで作ったのか、いつか本人に訊いてみたい。

 

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Heaven, Wait - Ghostly Kisses

どこが良いとか何が良いとかわかんないです。私はこういう音楽が好きだ。

アコースティックアレンジアルバムも出ていて、そっちも良いのでオススメ。

 

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hugo - Loyle Carner

一聴した感覚はOMSBの新作と似ているが(リリックのテーマとかも近いかも)、こちらはより演奏家の座組を意識した、プレイヤビリティにあふれた音楽となっている。ジャズシーンの凄腕プレイヤーを多数起用しており、後から知ったんですがRichard Spavenとかも居るのね!

アルバムに参加したミュージシャンなどの詳しい解説も載っている↓のnoteを読むのが大変オススメです。勉強になりました…。

Loyle Carner 『hugo』(2022)|Kt.Fmk|note

 

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LOGERHEAD - Wu-Lu

A Tribe Called Questに聴こえるときもNine Inch Nailsにも聴こえるときもある。こういうジャンル横断的・複合的な音楽は、突き詰めると作り手の音楽遍歴そのものとも言えるような網羅性を帯びる。同時に、アルバム全体の音像が一貫してまとまっている点に強いプロデューサーシップも感じる。かなりお気に入りのアルバムです。

 

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Makaya McCraven - In These Times

ジャズが大好きなのに、ジャズについて語るのが苦手だ。何をもって良い演奏とするのか、その価値基準がいまいち分からない。何を聴いても良い演奏にしか聴こえないし、全部が"単に優れた作品"であるように感じる。そんな私にとって、数年前から(日本で)語られだした「ニューチャプター」と呼ばれるジャズの新興勢力が作る音楽はとても魅力的に聴こえた。それらは(ロックやヒップホップなどと同様に)「ビートについてジャズを語る」ということを可能にしたからだ。

Makaya McCravenの本作は「ビートについてのジャズ」の最新形態とも呼べる内容になっている。一曲目「In These Times」の始まりから、印象的なプロダクションが端的にそれを表現する。観客の歓声と拍手が聞こえ、ライブ音源が始まったかとぼんやり思っていると、その拍手がいつしかミニマルなクラップ音の連続に変わっている。このアルバムが「"演奏"のアルバム」では無いことがものの数十秒でハッキリと打ち出された、極めてスムースなイントロだ。

本作はスタジオセッションやライブ音源を使用しながら、最終的にはMcCraven自身によるポストプロダクションによって再構築されたアルバムであるらしい。本作の特徴である複雑なリズムやポリテンポは、セッションでの即興性を元にした「ジャズドラマー Makaya McCraven」の仕事でありながら、ブレイクビーツやミュージックコンクレート的な手法によって作られた「トラックメイカー Makaya McCraven」の仕事でもある。

 

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Weather Alive - Beth Orton

 

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春火燎原 - 春ねむり

去年初めて春ねむりを聴いたとき、「2011年の音楽みたいだ」と思った。東日本大震災に直面し、唐突に「この世の中を変える曲を書かなきゃ!」「明日死ぬつもりでやらなきゃ!」という使命感に駆られるようになった2011年当時のミュージシャンたちは、SNSでラディカルな言葉を発することを厭わなくなり、楽曲は大仰なメッセージを帯びるようになっていった。日本において「音楽と政治」が大衆の目に見える形で急接近した時代でもあった。しかし彼らの多くは、その烈火の如き情熱をぼんやりと無かったことにして、いつしかメタ視点に安住することを好むようになり、何にでも言い換えられるメッセージだけを歌うようになった。

春ねむりは、多くのミュージシャンが"有事"の際にしか着火することのできない「この世の中を変える曲を書かなきゃ!」という情熱の炎を、時代や災害や世界情勢に関わらず常に掲げ続けることのできる人だ、ということが本作を聴くとよく分かる。

すごくシンプル且つわかりやすい作品で、インタビューなどを読む限り、この分かりやすさは意図されたものであるらしい。曲数の多いアルバムだが、ギターを主体としたエモコア・ポストハードコア調のトラックも単調にならず、ヒップホップのアルバムだが無理に低音をブリンブリンに出そうとしないのも個人的には好きだ(私は「日本の音楽は低音が弱い」論があまり好きではない)。ワールドワイドな作家であるにもかかわらずドンシャリな音作りを恐れずに打ち出していくスタイルは、ハッキリ言って超カッコいい。

 

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Revelation - Haiiro De Rossi

HAIIRO DE ROSSIもまた、自身の中の炎を絶やさずに表現できる稀有なミュージシャンである。リリックの具体性については春ねむりよりも鋭い。時間が無い人は1曲目『Revelation intro.』か8曲目『TOO MUCH PAIN』だけでも聴いてほしい。

 

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ULTRAPOP: Live at the Masonic - The Armed

2021年に出た同名アルバム『ULTRAPOP』のライブ演奏盤。オリジナル盤よりもパワフルで、個人的にはこっちのライブ盤の方が好き。一時期、睡眠導入のためによく聴いていた。

 

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I Didn't Mean To Haunt You - Quadeca

 

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Cとし生けるもの - リーガルリリ

アニメ主題歌にもなってた『アルケミラ』を聴いて「なんかkillieみたいな曲だな」と思っていたら、アルバム収録曲『セイントアンガー』に”ホームレスのおじさんは レーシックできるお金持ってない”というkillieみたいな歌詞が登場していて痛快だった。

 

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婦人の肖像 - 原由子

関ジャムの原由子特集を偶然見て、その時に流れた『ヤバいね愛てえ奴は』に脳を焼かれました。すんごい曲。作詞作曲は桑田佳祐。上記Arctic Monkeysの稿で「アレックスが桑田佳祐化している」と書きましたが、この曲、そのまんまボーカルをアレックス・ターナーに変えたとしても違和感なくないですか? 見た目だけでなく作曲のモードまでシンクロしている桑田=アレックスに人知れず興奮しているんですが、これって私だけでしょうか。

正直『ヤバいね愛てえ奴は』だけをヘビロテしてるので他の曲はそんなに聴いてないんですが、邦楽ポップスの引き出しを片っ端から開けるようなアレンジの多彩さ(というか雑多さ)を聴いていると、逆説的に「原由子の声」で一枚のアルバムを作る難しさを感じます。ただ、もしこの『夫人の肖像』が初めからキュビズム絵画として、複数の雑多な視点を一枚の絵にまとめ上げるつもりで描かれていたのだとしたら、実は結構傑作なのではないか、という気もします。

 

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NOT TiGHT - DOMi & JD BECK

 

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結束バンド - 結束バンド

2022年は『ぼっち・ざ・ろっく!』の年だった。

『青春コンプレックス』のブリッジの部分の歌詞――"私 俯いてばかりだ それでいい 猫背のまま 虎になりたいから”――について、ニコ動に上がっていた何かの動画に付いたコメントで「ここ山月記」と言われていたのが強く印象に残っている。

私は中島敦山月記』の内容、及び一般的な受容について強く懐疑的だ。山月記』に登場する「虎」は、プライドの高い脱サラ詩人である李徴がその自尊心を"こじらせて"他者とのかかわりを絶った結果表れた、肥大した羞恥心の象徴として描かれる(差異はあれど、概ねこの解釈が国語のテストの回答として採用されているはずだ)。虎になった李徴は、出世したかつての友人に自作の詩を披露する。詩を聞かされた友人はその詩の技巧を評価しながらも「やっぱプライド高い奴が作るもんは微妙だな」みたいなことを心の中でつぶやくのだが、私はこの友人が下した李徴の詩への評価がひどく気に入らない。詩の技術を磨くための李徴の努力は、成功した世間の人々が思い描く「あるべきクリエイターの姿」の前には何の意味も為さないと断罪されてしまうのだ。(ただ李徴に関しては、妻子を置いて逃げたという"罪"の問題もあるので、ことは単純じゃ無いのだが。)

『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品は、キャラクター表現の要素として主人公・後藤ひとりa.k.a.ぼっち)が人とのかかわりを絶った状態から脱却する様を描いており、それを明確に「成長」と位置付けている。もちろんこれはテレビで放映される健全なアニメである以上当然のことではあるのだが、私はこの「成長」を作品の重要な要素だとはまったく思わない。重要なのは、本作において後藤ひとりは登場したときから既に「虎」として出来上がっている人物であるということだ。social anxietyとして生きながら、努力の果てに身に着けたギターの技巧を用い、高校をドロップアウトすることをバンドマンとしての成功目標の一つに設定して憚らない人物。もちろん、後藤ひとりがバンドに出会わなければ、李徴のように心をズタズタにしたまま"孤独"に暮らす羽目になるだろうし、作中でもそれは予感として明示される。だがそれは後藤ひとりや李徴がもつ「人間性」が悪いのではない。悪いのは虎を受け入れないこの世界の方である。ロックは"それ"を叫ぶ音楽であるが故に必要とされてきた。つまり、"虎で何が悪い"と。

『ぼっち・ざ・ろっく!』はいわば、虎になった李徴がその牙を剥く場所を見つける作品である。それは『山月記』に納得がいっていない私のような人間にとって、言いようのないカタルシスを感じさせるものだった。私のこの見立てがどれほど的を射ているかは分からないが、おもしろいことに『ぼっち~』作中で後藤ひとりはバンド内において「作詞」の役割を任せられる。作詞にまつわるエピソード(第4話)はとても面白いので、興味をもった人はぜひアニメを観てほしい。

 

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おわり

宇多田ヒカルの『BADモード』やThe1975の『外国語での言葉遊び (Being Funny in a Foreign Language)』、あとケンドリックとかビヨンセとか、いかにも「2022年と言えば!」って感じのアルバムは聴いてなくて……というか聴いたはずなんだけど全然内容を覚えてなくてベストには入れませんでした。トレンドを追うのが苦手な人間ですみません。

これを書いてるうちに年が明けました。年を取るごとに年末年始が嫌いになっていきます。子どもの頃みたいに無邪気にテレビの特番見てキャッキャ言えたら良いんですけどね。

今年はどうにか実家を離れて、自由な時間とメンタルヘルスを取り戻して、もっとブログで色んな趣味の話ができたら良いなと思います。

それでは。

 


 

…ということで、以上が2022年末に書いた2022年音楽年間ベストの記事でした。

長い。10000字を超えている。こんな長い文章を書いたことよりも、こんな長い文章を書いといて全く世に出そうとしていなかった自分が不気味すぎて怖い。でも、『結束バンド』評にも書いた通り、私は書いた詩を孤独に溜め込む虎の李徴で一向にかまわないのだ。虎で何が悪い。10000字のブログを下書きに溜め込んで何が悪い。袁傪がやってきたらこの記事全部読むまで喉元に牙を突き立ててやるからな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。一応Twitterもやっているのでフォローなどお気軽にどうぞ。音楽よりインディゲーム関連の話題が多めです。家族の話や鬱ツイもあるので嫌になったらフォロー外して大丈夫なので。

2023年はちゃんと年末に年間ベスト上げる努力はしようかなと思いますが、別に年間ベストなんていつ上げてもいいんやで!というマインドは忘れたくないですね。

それではさようなら。

 

 

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